ブラックバイト

ニュースによると、ブラック企業だけじゃなくて、ブラックバイトというのも最近問題になっています。
アルバイトの学生でも長時間勤務や不規則な勤務をさせられてしまい、学生がテストに出席できなかったり、ゼミの合宿に不参加の学生が多くてゼミ合宿が中止になったりする例もあるそうです。
あるいは、仕事のミスに対して理不尽な罰則を科せられたり、損害賠償を求められたりするなんて例もあるそうです。
その背景にあることとして、フリーターとの競争が厳しくなっているとか、親の経済事情から仕送りが十分でなく、働かざるを得ないことなどといった事情が考えられるということです。
要はクビになってしまうのが怖いということでしょう。

しかし、たとえそういう事情はあったにせよ、私はちょっと同情できませんね。
社会勉強っていうのは、仕事の厳しさを知ることや世の中の理不尽さに対する耐性を身につけるだけじゃないですよ。
強者にむやみに従順にならず、自分を守る知識を身につけること、相手のことを知ってうまく交渉する術を知ることも、社会勉強なのではないでしょうか。
クビになるのが怖いかもしれませんが、人を雇うというのは、雇う側にとってそれなりにコストやリスクを要することです。
特に経験や技能を要する仕事であればあるほど、そうです。
だから、表向きでは「お前の代わりなんかいくらでもいる」って言いたそうな生意気な態度でも、内心ではそう簡単にはやめて欲しくないわけです。
礼儀とか節度とかは必要ですし、ただのワガママは論外ですが、若者も自分の考えをしっかりと主張すればいいと思います。
そうしないと、実は雇うほうにとっても不利益を受けるのです。
「やってはいけないこと」が何なのか勉強できないからです。
それでは、遅かれ早かれ経営も失敗してしまいます。

でも、こういうことが言えるのも、ある程度社会経験を積んだからこそであって、まだ学生には分からないでしょうね。
大人がそばについて、しっかり教えていかないといけないのでしょう。
要するに、大人が責任を果たしていないということでしょうか。

私の青春時代のニキビ事件

 私は中学時代にニキビがおでこと頬にたくさんできたので、友人にからかわれたりしたので、腹が立ってしまい自分でニキビを潰してはいけないという事は解っていても、からかわれた事にイライラして、自分で自分のニキビを潰し、自傷行為をしていましたが、少しでもからかった友人を見返してやろうと思い、食生活を改善し、今まで肉中心の食生活をしていたのですが、私は野菜類はあまり好んで食べなかったのですが、自分自身も早くニキビが治ったら良いと思ったので努力をしました。

そのほかにも、毎日、朝と入浴時にテレビのコマーシャルでも宣伝されているつかってみんしゃいよかせっけんという商品が宣伝されていたので、商品を通販で注文し洗顔するようにしました。
顎ニキビを治す方法を探していた時に偶然見つけたものです。

 すぐには効果は現れませんでしたが、やり始めてから2か月が経った頃には徐々にではありますが、ニキビの大きさが少しずつですがちいさくなっていき、3ヶ月目にはニキビが完全に消えていました。

 私の事をからかっていた友人も私の顔からニキビが無くなると前と同じように普通びに接してくれるようになりました。

 私が感じたのは、私はニキビの事でからかわれた事があったけれど、絶対友人をからかわないようにしようと決めました。

いよいよ今年も終わりです。31日には今年最後の大事な交際があります。

今日は全国的には知りませんがこの北信濃辺では旧盆から12月31日に亡くなった人がいらっしゃるお宅にはお参りに行く日です。私も何軒かお参りにいかさせていただきます。
ただこの風習もだんだん行われなくなってきました。
11月に亡くなった私の母の弟つまり私にとっては叔父の家では葬儀のお斎の際、12月31日には来ないでほしいとわざわざ喪主があいさつの中で言っていました。
私も父が亡くなってからそれまで父がやっていてくれていた親戚や父の知人との交際を長男である私がするようになって、交際とはこれほど大変なものかと改めて感じました。
お金もかかりますし忘れてはいけないのでパソコン交際表を作り入れておきます。

ただ9月に亡くなった私の父のお参りに31日に見えなかったお宅へはそれぞれお考えがありますので遠慮します。
旧盆の時には1月1日から8月12日までに亡くなられたお宅へお参りにいかさせていただきますが、大体知人で2,000円、親戚で3,000円程度の御仏前を仏壇に上げます。
お返しがあり1,000円程度のお茶が多いです。12月31日も同じです。
私の父方は今でも昔の風習を頑固に守っています。山間地で農家が多いというせいもあって親戚がお互いに助け助けられるという関係がうまくいっています。
例えば主が若くして病気で亡くなったお宅の田んぼやリンゴは親戚一同で応援に行きます。このような交際はいつまでも続けていってほしいですね。

相続税の課税強化について考える。

私の亡き父が亡くなったとき相続税を支払いました。しかし亡くなったのが数年前だったのでこんなに大増税が行われるとは想像すらしていませんでした。
そのためそれまでの相続税の法律を考慮して母が半分で、残りを子供たちで分割しました。
しかしこのような大増税が行われるということを知っていれば違った相続方法を取ったとお思います。もう決まったことですし運がなかったと思ってあきらめていますが、
母がもしもの際には多額な相続税課税がなされ当然申告もしなければなりません。

妻の父も数年前に亡くなりましたがその時は妻の母はなくなっておりましたので、多額の相続税を支払いはしましたが前の法律でしたので結果的に助かりました。
私の父が亡くなる前相続税がかかることはわかっていましたので、あらかじめ土地を売って支払資金を準備しておきました。
母がもしもの時にはその時のお金が残っていますので相続税の支払資金は心配ないと思います。

ただ、世間には土地が売れないで相続税の支払資金に苦慮されている方が大勢います。
このような場合今は物納がほとんどできないので苦しいです。皆さん税金を払う意思はあるのですが現金がないのです。
このような場合何とか良い方法はないものか、国の方で考えていただければ助かる人が大勢います。

やってしまいました

私は趣味としてアコースティックギター(以下ギター)を弾いています。

ギターは神戸の元町にあるYAMAHAで購入しました。一口にギターをするといってもギター本体だけでは話になりません。

ピック、スタンド、チューナー、カポタスト(キーを変えるために使うもの)、替え弦、キャリーケース、クリーナー、ギターを拭くための布などが必要になります。

仕事から帰ってきてからはほぼ毎日練習しています。私はマンション暮らしなので両隣に迷惑にならないか心配していましたが、今のところ苦情はきていません。

両隣とも確かに人は住んでいるのですが全く音が聞こえてきません。

なので、今住んでいるマンションは意外と壁が厚いのかなと思ったりもします。仕事先の誕生日会で「ハッピーバースデートゥーユー」を演奏したりもしました。そして、いつものように仕事から帰ってきてギターを弾いていたら、3弦が切れてしまいました。

替えのワンセットを持っていたので切れた3弦だけを交換しようと最初は思っていたのですが、この際だから6弦全部交換することにしました。
そして無事に6弦共交換し、最後に余った部分を6弦から順番にニッパーで切っていって2弦まで無事に切り終わったのですが、最後の1弦がなかなか切れませんでした。

それで四苦八苦しているとなんと2弦を切ってしまいました。

とてもブルーな気持ちになりました。

ちなみに替え弦ワンセットの値段は300円くらいからあります。

若者よ!スマホを捨て、顔を上げよう?

今ではすっかりファッション・アイテムの一つとも成っている、スマートフォン。従来の携帯電話を『ガラケー』と揶揄し、「スマホを持っていなければ、オシャレじゃ無い?」的な風潮もありますね。
電車の中でも着席するなり、全員スマホをポケットから取り出すのを見ると、もう完全に儀式化していると思います。
この多機能で便利なスマホなんですが、ちょっと社会問題にもなっている事があります。所謂「ながらスマホ」です。
歩いている時も、自転車に乗っている時も、車を運転している時にまで画面を注視しています。危険ですよね。
この「ながらスマホ」は他の歩行者や物にぶつかって、事故を起こす危険性を指摘されてきましたが、電車やバスに「乗りながらスマホ」も考えものです。画面に注視する余り、周囲に注意が行き届かず、目の前に高齢者や身体障害者が立っていても知らんぷり。困ったものです。
歩いていても、電車に乗っていても、食事の時にもスマホをいじっているから、バッテリーの残量が無くなってくると、コンセントを探してまわったりしてます。
時にはスマホをポケットにしまい、顔を上げて、景色を見るのも大事だと思います。
「言葉の錬金術師」の異名をとる、昭和の随筆家の寺山修二の作品に「書を捨てよ、街をでよう」がありましたが、その言葉の意味は、「書物からの知識だけに頼らず、世の中を見ろ」です。
その言葉を借りると、「スマホを捨て、顔を上げよう」だと思います。

ピンチ!小指が腱鞘炎に…

ピアノ弾き、ヴィオラ弾き、歌歌いの奈沙です。

目下、1月10日に控えるオーケストラの本番に向けて最後の調整中です。
曲はラフマニノフの交響曲第2番。超難曲です。
大学2年生の時に初めて挑戦しましたが、手も足も出ず、全く弾くことができなかったと言っても過言ではないくらい弾けませんでした。
今回、某アマチュアオケからリベンジのチャンスを頂いたので、今までになくがむしゃらに練習し、本番に備えているところです。

もうひとつ、2月に本番がある、ピアノ伴奏。
こちらもラフマニノフなんです。
チェロソナタの伴奏。1楽章だけなのに、げんなりするくらい難しいこの伴奏に、心が折れそうになりながらも果敢に挑んで早1ヶ月。
先日、練習している時に右手の小指に違和感を覚えました。
い…痛い…。

この痛みは、なんとなく嫌な予感が…。
そう、腱鞘炎です。

力を入れすぎて練習していたようで、右手小指、腱鞘炎になってしました。
練習すればするほど、痛みは増すばかり…。
しかし全く弾かないのも恐ろしいので、今は30分弾いては30分休み、また30分弾いては…の繰り返しです。
全然進まない事にやきもきする日々。

不幸中だったのが、左手ではなかったところ。
ヴィオラの方には影響はほぼありませんでした。勿論弓を持つ右手の指も大切ですが、その程度の力の入れ具合では痛くならないようで…。
ほっとしております。

ラフマニノフさんは手が非常に大きかったそうで…。
そんな彼の作った曲なんだから、小娘が必死に練習したら指の1つや2つ痛めますよね。
早く良くなるよう、養生しつつ、調整して練習に励みたいと思います。

うっかり言葉のレトリック

ここからご記入く例えば世間で自由競争や自己責任という言葉がよく使われますが、今回はこの種の言葉について、少しだけ書きたいと思います。

私は自由競争や自己責任と言う言葉が上から目線で使われた時に、強い反発を覚えます。「おおむね組織に問題なし、失敗の原因はA君の責任感が足りなかったからだ」こんな手前勝手な評価が有りでしょうか?責任を問う場合、どの行為がどれ程の影響を持ったかという明確な範囲設定が重要です。範囲と深さを示さずに誰が責任をとるかだけが明瞭な結論は評価とは言えません。ですから、この場合の「自己責任」は「全部おまえのせいだ」と言っているだけで、自分自身の責任から逃げているだけです。

失敗から学ぶことは成功から学ぶことより深い場合が多いし、やり直しをすることが許されなければ、社会は成り立ちません。その可能性は無くして何になるというのでしょうか。
正義、空気、コンプライアンス、マニュアル、etc、白として使うべき言葉を使って真黒な毒を吐く。それぞれ大切な言葉ではありますが、手前勝手に使うと他人を傷つけてしまうる言葉です。
このような言葉をうっかり逃げ道にしたことはありませんか。
そんなうっかりで大切な人を失ってはなりません
ださい。

冬に若菜の季節感かな

お正月休みもひと段落して少しずつ通常どおりに、そういういまごろは古くからの食習慣、行事食で七草粥を食するとき。
暑い夏にもその気候に適した野菜や果物があるように、寒い気候の数か月をすごすという冬時期でもそれに適ったものみたいですね。
12月、冬至のかぼちゃも冬に不足しがちな栄養素を補うような養生の栄養分で、この七草粥というのもダイコンやカブ、セリにもビタミンや鉄分があります。

ダイコンやカブというのは日常的な呼び方ですが、七草ではダイコンはスズシロでカブはスズナという古典的な呼称ですね。
七草の意味を検索してみると、お正月の料理で疲れたお腹を回復させるためのお料理となっていて、この年も元気ですごせるようにという気持ちも込めているのだとか。
室町時代のころに始まったとも言われる七草の風習、いまの時代のように技術など進歩していなくても、先人達は生活の知恵をきちんと持っていたんだと感心します。

早春に芽吹いた野菜をお粥にする七草、あるもの野菜で作り古きゆかしい気分になるのも栄養分以外の癒しになりそうです。
いまの時代は七草を日本のハーブといっていますが、この季節になったら行事食としての七草粥、ダイコンやカブを刻んでお粥とすれば家に居ながらしての季節感。

未成年の犯罪について

いきなり生々しい話になりますが、近年、未成年者による犯罪、それも常軌を逸した犯罪を犯す未成年が後を絶ちません。

なぜ、このような事になるのか?犯罪を犯す未成年は、たいがい家庭に問題があるという分析がなされますが、果たしてそれは正しいのでしょうか?家庭に問題がと一口に言っても、その内容は様々で、そうした家庭は決して少なくないし、むしろ懸命に頑張っている人達の方が遥かに多いんです。

それを考えた時、犯罪を犯す未成年に、家庭が問題があったのだとするのは、単純に甘えだと思わざるを得ないのです。未成年といっても、中高生にもなれば、物事の道理は理解出来ますし、善悪の判断だって出来ます。つまり自分のしている行為、これからやろうとしている行為が、世間にどれだけの影響をもたらし、周りにどれだけの迷惑をかけるのかということも分かるはずなんです。

ただ、社会は、未成年だというだけで寛大な処置に傾倒しますが、それが万引きやケンカ、自転車窃盗といった昔からあるような、出来心やイタズラならいざ知らず、世を震撼させるような犯罪を犯すような未成年に、寛大な処置も何もないと思います。

今の未成年は大人が思うほど、愚鈍ではなく、少年法を盾に、遊び感覚で凶悪犯罪を犯します。未成年、とりわけ子供に対する態度。子供を守る、保護するということを、何か勘違いしている大人ばかりなのではないでしょうか。昔と今は違うというのであれば、未成年だって昔と今は違うのだということを、今一度考え直す時が来たのでは、そんな思いです。